「木更津八景」が今に映し出す艶やかな情景。
唄と三味線と踊りが伝える賑やかな芸妓文化。
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| 昭和の時代。ちょっと町を歩くだけで風情に触れることができた木更津の話。当時の繁華街と言えば、今の西口のことで、まっすぐに港へ続く道を歩けば、思わず「粋だわねぇ」なんて口にしてしまいたくなるような場面があふれていたという。トチチリトチチリトンと障子の隙間からこぼれてくる三味線の音色だったり、日本髪の粋な姿でお座敷に出かける芸妓衆とすれ違う場面だったり、いくつもの情緒が東京湾から運ばれてくるほのかな潮の香りと織り混ざり、艶やかで賑やかな時代の木更津を彩っていた。「お琴ちゃん、これからどこのお座敷なの」なんて、町の人が芸妓に声をかけている場面を想像すれば、もう一度、思わず「粋だわねぇ」と口にしてしまうはずである。 |
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昭和40年代頃まで、木更津には200人を超える芸妓がいたと言われ、伝統ある花街だったそうだ。その頃と言えば、まだ横浜と木更津を結ぶ船が往来していた時代で、木更津の芸妓衆の評判を聞きつけては、神奈川や東京の殿方たちがお座敷遊びをするために海を渡って来ていたという。この時代に花柳界へ身を置いたひとり、杵屋佐登福は、木更津の情景が詰め込められた写真帳をめくりながら振り返った。「当時の芸妓は冠婚葬祭のすべてに顔を出していたんです。木更津には花柳界の文化が根付いていたんですね」。芸妓たちは連日、割烹料理屋でお座敷をつけることはもちろん、木更津名物の簀立て遊びの舟に乗り込み興を添えることも多かった。また、木更津の町を見渡す太田山公園で行われる「桜まつり」の舞台でもその芸を披露し、写真撮影会が開催されるとあればモデルとして声をかけられたのは、やはり芸妓衆だったそうだ。佐登福は続けた。「芸妓のいる賑やかな町として、昔のよさを今に、そしてこれからの木更津に残していきたいですね」と。
芸妓だった母親の影響で、踊り、三味線、鼓を習い始め、中学卒業後から20年の間、芸妓として働いてきた佐登福が、人間国宝、故・杵屋佐登代に師事し、長唄を習い始めたのは20代後半の頃。6年前からは、自身が師匠となり長唄の伝統と醍醐味を後進に伝えている。きっかけは、1年前のことだった。自宅の本棚の整理をしている時に、一遍の詞が出てきたのだ。達筆な行書で「木更津八景」と書かれたその詞は、母が残していたものだったという。 |
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杵屋佐登福(きねやさとふく)
長唄・師匠。
「木更津の町に三味線の音を響かせたい」 |
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佐登福の母が保存していた木更津八景の詞(奥)。
その後見つかった「木更津八景全」(手前)は、
昭和9年に書かれたものを昭和33年に写している。
木更津八景
春毎に盛りの花の木更津や/霞(かすみ)の綱もひき初めて/当たる矢那川夕栄(ゆうばえ)は/為(な)がめも殊に善光(よしみつ)の/御寺(みてら)の鐘に入船(いりふね)は/ねぐらに帰る鳥居崎(とりいざき)/積もりて尽きぬたのしみは/暮れて鹿野(かのう)の雪の山/宝の里に七福や/八(やつ)の景色を唄う一節 |
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| この唄は、浄瑠璃の一派で、江戸時代中期に常磐津文字太夫が始めた、歌舞伎の舞踏の伴奏として発達した伝統芸能のひとつ、常磐津「木更津八景」と分かった。昭和30年代半ばまで木更津の花柳界で唄われてきたものだったようで、今では花柳界の衰退とともに唄う人が減り、この唄の存在を知る人はほとんどいないという。 |
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佐登福は思った。「木更津を広く紹介するために、この唄で花柳界だけではなく木更津の町を活気づけたい」と。早速、曲作りにかかった。長唄らしい調子と、詞のアクセントとの調和に気を配りながら。
イメージは、夕日を背に漁船が帰港する木更津の海などの地元の風景。市内を流れる矢那川や、港近くの鳥居崎なども登場する歌詞からは、忘れていた懐かしい思いが込み上げてくるようでもある。
そして、富津市生まれで日本舞踏の師匠・花柳寿万恭が、江戸前のきっぷのよさと木更津の粋を注いで踊りをつけた。
そして、その娘で、稽古をつける寿万佳代は、「女性らしい唄なので、堅苦しくなく馴染みやすいものに仕上げました。最近では、郷土の芸能に触れる機会が少ないので、多くの方に親しんでもらえる場面をこの唄を通して作っていきたい」と思いを語った。 |
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花柳寿万佳代(はなやぎすまかよ)
花柳流教授。
「より身近なものに感じてもらいたい」 |
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初夏の午後。木更津は富士屋ホテル、錦の間。心地よい三味線の調子に合わせて芸妓衆が踊っていた。その詞とその踊りが、木更津の情景をひとつずつゆっくりと思い出させるように…。これは、富士屋ホテル会長・永嶋弘一の木更津に向ける情熱が実現させた「木更津の情緒を楽しむ会」で、「木更津に花街を蘇らせたい。旅館や料理屋が郷土文化の担い手として伝統を受け継いでいかなければいけない」という思いを、伝統を支える人たちと共に形にしたものだった。一遍の詞との出会いによって復活を果たした「木更津八景」は、今、新しい木更津の歴史を唄い始めようとしている。
その後、「恋の森」と呼ばれる現在の太田山公園や峯薬師、畔戸の浜、狸囃子で有名な證誠寺の詞もあることが分かったという。情緒あふれる木更津の8つの景色に出会える日はもう近い。
(文・宮城 亮)
提供/情報彩載 |
永嶋弘一(ながしまこういち)
富士屋ホテル・会長。
「料理屋の仕事を通して町の活性をしていきたい」 |
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富士屋ホテルで5月に催された「木更津の情緒を楽しむ会」で、
木更津八景を踊る芸妓衆。
次回は8月28日(土)、午後6時から。料金・10,000円(お食事付)
/出演・杵屋佐登福、木更津芸妓衆。
お問い合せは、TEL 0438-22-2117(富士屋ホテル)。 |
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(左)
昭和40年頃の木更津の港。
木更津に遊びに来た人たちを
芸妓たちが紙テープを持って
見送りをしていた。 |
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(右)桜まつり
木更津・太田山公園で
毎年春に行われている
「桜まつり」で芸を披露する
木更津芸妓衆。昭和40年頃。 |
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